下北沢ヒストリアイは、下北沢エリア・下北沢地域についての歴史的な情報を蓄積することを目的としたサイトです。

下北沢情報コンセプト.png
この画像は、「北沢PR会議」が始まったばかりのころ、どのような情報をどのようなスタンスで扱う必要があるのか、ということをまとめたイメージです。クリックすると画像のみ表示します。

ヒストリアイ Ἱστορίαι

『ヒストリアイ(Ἱστορίαι)』は、古代ギリシャのヘーロドトスの著書『歴史』の原題です。
ヒストリアイという言葉の意味は「探究」「調査」であり、ヘーロドトスが「人間のなした出来事が忘れ去られてしまわないように」と考えてギリシャ各地の話をまとめたのが『ヒストリアイ(歴史)』でした。
ちなみに、現代ギリシャ語では「ヒストリエ」という発音になります。

下北沢地域の歴史について、非常に詳しく調査されている方々もあり、充実したブログもあります。
しかし、そこに記録されている出来事は、すべての時代に及ばないと感じてきました。
また、マンガや映画などに登場した下北沢の情報については、「歴史」から追い出されているような印象も受けてきました。

そこで、屋上屋を架すことになるかもしれませんが、下北沢の歴史を古代から現代に至るまで、すべての時代の積み重ねとして改めて記録するサイトを作りたいと考えました。
それが「下北沢ヒストリアイ」です。

下北沢エリア・下北沢地域

下北沢はどこからどこまでなのか……

藤谷治さんの小説『下北沢』でも、下北沢の範囲は議論のタネになるものとして扱われています。

このサイトでは、大ざっぱに、過去の「下北沢村・代田村および羽根木飛地付近」、現在の地域では「北沢・代沢・代田・大原・羽根木」付近、言いかえれば「世田谷区北沢地区東部」を対象としたいと思います。
ざっくりといえば、世田谷区内の西は羽根木公園、南は淡島通りよりも北東側のエリアを中心とします。

このエリアには、下北沢駅だけでなく、東北沢・世田谷代田・新代田・池ノ上の計5駅があり、この5駅を最寄りとする住人は「下北沢(あたり)に住んでいます」と説明することが多いように思われます。

時層という考え方

下北沢には人間の営みが積み重なった歴史があります。もちろん、住む人は入れ替わっていったでしょう。
そして、時代によって、下北沢の街の様相は変わってきています。

残念なことに、特定の時代の下北沢を否定する人が少なくないのは事実です。
×「劇場が来る前の下北沢はよかった」(「音楽と演劇の街」以降の時代の否定)
×「ヤミ市の記憶など必要ない」(ネガティブな記憶自体の抹消)
×「小田急線ができる前の話など誰も興味を持っていない」(「この街で長く生きてきた自分ですら知らない過去の下北沢」の否定)
私がこれまで実際に耳にした発言です。この中には、街の重鎮と呼ばれる人も含まれています。

私は、このような意見には賛同しません。過去のすべての積み重ねが今を作り、そこから新たな未来を創っていくのです。
将来の下北沢が、改善によって大きく方向転換することがあるとしても、それは、今までのすべての歴史の積み重ねを踏まえた上での方向転換でなければなりません。
今までの「時層」の一部を「なかったこと」にしようとするのではなく、それを踏まえて、では今後どうするのかという発想であるべきだと堅く信じます。

運営者:木田沢ダイタ

このサイトの運営者は、このサイトでの情報を私的な生活と結びつけられることを望みません。したがって、ここではペンネームを使わせていただくこととしました。
下北沢村と代田村の範囲を扱うので、キタザワ・ダイタを名乗ったというだけの話です。
木田沢という表記は、「北沢」という地名についての自説がもとになっています。

生まれも育ちも下北沢ではありません。
関西出身ですので、せめて千年くらいは歴史がないと「古刹」だとは思っていません。
それでも、この街に興味を持ち、この街に住むことになりました。

どうぞよろしくお願いいたします。

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